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石州流伊佐派とは

石州流伊佐派は、伊佐幸琢(いさこうたく)が五代将軍徳川綱吉公の茶道師範になって以来、代々江戸幕府の数寄屋頭を務め、武家社会の中心として武家茶道の格式と伝統を今に伝える流派です。

伊佐家は代々、江戸幕府における数寄屋頭を幕末まで5代にわたって務めました。当時、石州流が全国各地の大名が持ち帰り「お家流」として変容を余儀なくされる流派もある中で、徳川将軍家の実務を任されていた伊佐派の茶は、伝統と格式が堅固に守られ、武家特有の所作や精神が現在も伝承されているのが特徴です。

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伊佐派の精神「自尊他尊」と「徳」

石州流伊佐派では、伝統を踏まえながらも今、そして未来に生かす茶の追究を目指しています。
 
茶席で亭主が心を込めておもてなしをし、客人はその思いに応えひとつの場をみなで作り上げていく・・亭主と客人がその場限り一度しかない一期一会の空間を共有することを茶道では「一座建立」と表現します。
 
このような清々しい場を、相手を大切に思うだけでなく自分をも敬うという意味の「自尊他尊」の精神で作り上げることは、大きな喜びであり、意義でもあります。
 
相手に対しては感謝の気持ちと謙虚な心で、また同時に自分自身をも尊び認める。そうすることでなにより、自分自身が心地よく清々しい気持ちになれるのです。
こうして心を交わし合う中で生まれるあたたかく気持ちのよいエネルギーに包まれた時、人と人との良い関係が築かれるのでしょう。
 
稽古場はこのような茶の心を通じて癒しと気づき、学びを得る場所です。
修練を積むことで不動心を養い、心技体の調和を育み、それを現実社会の中で日々行動に移し、実践し真に身につけること。
そうした修練がよりよい人間となるための「徳」を磨き、現代の伊佐派の価値を創ると考えています。

人間としての美の追求

一般的に茶道というと、茶器や茶室建築、生け花や書など、日本古来より伝わる伝統文化を包括する総合芸術としての美という側面を持ち合わせます。
 
利休の侘び茶に対して、武家茶は華やかだと言われることもあるようですが、由緒ある道具や建築など、伝統の価値を愛で守ることは大きな意義がある一方、物理的な美だけに傾倒することなく、むしろ人間としての内面的な美の追究こそが武家茶道の本旨の第一義であると考えます。
 
茶道における所作とは、ひとつひとつに心をおき、慎み深く、謙虚な気持ちで相手に礼を尽くすことがカタチとなり表現されたもの。
 
現代社会においても、目の前の相手と丁寧に向き合い、相手を大切に思うことから、あたたかい人と人の絆は生まれると思うのです。
そして、それは同時にその人本人を美しく見せることにも繋がっていきます。

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栄卓の誕生と伊佐派の未来

1000年に一度と言われた東日本大震災の一年後、被災者の「忘れ去られる事が最も辛い」の言葉に強く心動かされました。
 
その時、ならば消え去る物を新たな形に変え、100年、200年と静かに言い伝えていくことが伝統や文化に身を置き、しかも生かされた我々のやるべき事という思いに至り、多くの人達のご縁の繋がりが、力強い「絆」となってもう一つの被災地長野県北部、「栄村」(さかえむら)の樹齢350年の橡の木から伊佐派300年の歴史の中で初めてのテーブル型、立礼席が誕生しました。
そしてこの立礼席(りゅうれいせき)を「栄村」の村の名にちなんで「栄卓」(さかえじょく)と名前をつけました。

栄卓は現代の囲炉裏端にしていきたいと思っています。
被災者の事、復興の事、そして足元の小さな事や日本の未来、世界の平和、自然環境の事など、栄卓を囲み、お茶を飲みながら日本の中だけでなく世界の人達とも語り合いたいと思っています。
豪雪地帯の栄村で厳しい冬を350年生き抜いた橡の木から生れた栄卓は決してしゃべることはしません。しかしある時は人を癒し、ある時は人に勇気を与え、ある時は一緒に喜び悲しんでくれる、そんな人の心に寄り添う「卓」になってくれると思います。そしてともすれば、浅はかな考えや行動をしてしまう人間に大切なことを教えてくれるそんな「卓」になってくれると思います。
 
栄卓は伊佐派の未来の象徴として300年の伝統の礎の上に世の中に価値を与え貢献する流儀として新たな時代を作ってくれることと思います。

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