武家茶道とは

武家茶道とは、武士の嗜み(たしなみ)の茶として、江戸時代に武家や大名の間に広まった茶道のことです。
 
江戸時代に入り時代は戦国の世から泰平の世となりました。武士は戦(いくさ)を行う者から為政者となり、誇りと使命と覚悟をもって天下を治める必要がでてきました。世を治めるためには学問をし、知識を持ち自己研鑽を積んで立派な人にならなければいけない、という自覚が芽生えます。
 
こうして武家茶道は利休の侘び茶の流れを汲みつつも、人格形成のための修業の一貫として、武家の社会に調和させた分相応の茶として徳川将軍家、そして武家や大名の間に広まっていきました。

「剣は柳生、絵は狩野、茶は石州」

石州流の流祖である片桐石州(片桐貞昌)は、豊臣秀吉に仕えた千利休、徳川家康秀忠親子に仕えた古田織部、三代将軍の茶道師範である小堀遠州につぐ人物として、四代将軍家綱の茶道師範として将軍家の茶道を整備し「剣は柳生、絵は狩野、茶は石州」と謳われました。

以降、石州流は格式ある将軍家の茶道として全国の大名はこぞって地元に持ち帰り、石州流は全国に広がりました。
 

全国の石州流

石州流の特徴として、現在主流である家元制度(免状を発行するのは代々家元のみとされ弟子は教授権のみ持つ制度)に対し、奥伝を授けた弟子に対しては免状発行権と教授権を付与する完全相伝という形式をとっていました。そのため全国に広がった石州流の流派は、全国に存在しています。

 

伝承されたものを体得し、それに自分なりの創意・工夫を加えることで躍動の力を創り出してきた石州流は、今の時代を先取りしたものとも言えます。

石州流の「握りこぶし」と「お辞儀」

石州流の基本姿勢では正座したひざの上で軽く握りこぶしをつくりその中に親指を隠します。そしてお辞儀をする時は深々と頭を下げず浅めにします。

これは武家茶道特有の理由があり、刀を持つ親指をなくすことは命をなくす事を意味することから、いかなる時も大切な親指を守り、お辞儀をしながらも、周囲の気配に気を配り用心していた武士の習慣の名残と言われています。

その他、ご存知の茶道とは違う所作が多くありますが、それは茶会や稽古でご体感ください。